12月09日(星期二) 2008-12-09 13:00
| 12月09日(星期二) |
| 晴 |
| 17℃~6℃ |
| 微风 |
はじめてその男を見かけたのは結婚式の前々日、荷物をあちらへ送るときだった。婚家先は酒問屋だったからトラックや人手間に不自由はなく、なまじ見知らない運送屋に頼むよりはうちうちの者の方が気心が知れていて便宜がよかろうという計らいで、先方から寄越された人たちであり車であった。荷物の運び出されるざわめき、かけ声や手短な合図は十分時と処をわきまえている様子のうちにも、きびきびした若者の声であった。そのなかに一人、耳に障るいやな声があって、それは頭株らしく何やかや指図をし、また重い物をとりあつかうらしいけはいだった。声は男にしては高音で、俗にいう割れ声だった。おもちゃのラッパ、ブリキ製のあれに似た声だった。いやな声だなあ、とおもった。挨拶に顔を出さないわけには行かなかった。いずれも腕っ節のしっかりした若者だったが、ちらっと見たその男は一際目だって恰幅よく、黒いジャンパーにゴルフパンツのような半分のズボンを着け、もう年配であった。トラックの運転手だった。
私たちの新しい住いは店とは離れた地区にあったが、隠居所は店の構えのなかにあったから、結婚直後は儀礼的にも実際的にも姑への行きかいが多く、ははと向いあって話しているときにも、ふと聞こえて来る割れ声は私の神経にざらっと触り、またあれがいるなと意識させられた。
一ヶ月するとすぐに正月であった。店の人たちは年礼を簡単にするためにトラックへ乗って主人たちのうちを――三人の合資だったから――廻った。玄関は履物が格子の外まで溢れてしまっていたし、八畳の部屋は障子を外さなくては入りきれない人数でごたごたし、一番あとから運転手が履物を整頓しながらあがって来た。主人は私立大学をびりで卒業すると、さしたる希望もなくただ何となく外国へ留学した。七年をその地で過し商事会社にもいて、帰国、結婚した。大勢のなかで見る夫は人のいい鷹揚さはあっても、力の足りない顎骨のあたり、いたわってやりたいような風であった。親子二代とか三代とかいう番頭さんたちには商人の膏がかぶさっていた。天下太平、御代の春じゃという体の安逸と保身が、腰の低い慇懃さのなかでうんじょうしていた。若い手代たちはそれぞれ洋服にも羽織にも気をつかって、身だしなみよくちんまりしているが、規模のちいさい人生への期待に焦慮している様子がうかがわれる。蔵で働くものはまた、びりんとしたものをもっていた。昔風な特殊労働者かたぎを身につけているものの、新しい時代の動きにも刺激されているその混迷はあるにしろ、どっちみち体力をかけた日常は軽く扱いがたい根性をもっていた。見わたしたところごく平凡な全体が私たちの新居の客間で、平和に新年の祝杯をあげていたが、異彩は彼であった。
どこのうちでも運転手の席次は低いものであるらしく、ここでも彼は末座にいて、例の声をあげていた。彼の元旦の盛装は異様にりっぱである。猫のごとくしなやかに、ゆかしいほどにも黒いモーニングの生地はあちらものと思われ、仕立ては労働者の筋肉を蔽ってまことに高級紳士向きである。真っ白なカラやカフスから出ている皮膚はきめあらくあれていたが、何よりも体全体の厚みがものを云って堂々たるものであった。私ははじめてゆっくり彼を見た。太い猪首はカラで締められて肉の段々をこしらえてい、硬そうな耳、顔の幅の三分の一を占める鼻と鼻の穴、黄色く濁る眼にかぶさるほど接近した濃い眉、眉から二指の間を保ったさきは生え際だった。上に行くほどせばまった顔にのっかった五分刈り頭は、光る毛もまじって地肌が赤かった。重厚な体じゅうのどこからも割れ声の原因は見つけ出せなかったが、妙にちいさいその頭に関係あるもののようにはおもえた。彼は爪先の細い紳士靴でトラックのアクセルを踏み、番頭さんも樽ころがしさんも一緒くたに運んで帰って行った。
その後私は自然にいろいろなことを聞き知った。彼の前身は満州のある馬賊の一の子分であったこと、銭湯で見る太ももの凄い刀痕はその時代のなごりであること、満鉄の何とかいう人の奥様にひそかに及ばぬ恋をして、それがまたえらく深刻にプラトニックなもので、その人が内地へ帰るともう寂しくて矢も盾もたまらず、脅迫をくぐりぬけて馬賊を廃業し内地へ帰って来てしまったこと、そんなまことがましく嘘っぱちらしい話などを知った。蔵の働き手たちはプラトニック?ラブが大好きであった。自分たちの理解以外の非常に神聖な色事としてあこがれてもおり、またそれをむざんに踏み破らせることの想像はこの上ない昂奮らしく、残虐嗜好がありありと見えていて、自分たちのするついた離れたの情事より、はるかに楽しい話題らしかった。彼の恋を私は、なんだか聞かせらしいと云うと、彼らはまじめに、「だって御覧なさい、あのおかみさんは帰ってからもらった人だから、子供たちはおとっつぁんの年にくらべてこまっかいのばかりうじゃうじゃしてるじゃありませんか。あいつは諦めきれないでそれまで独身でいたんでさあ」と証拠のように話した。
運転手というものは荷物を積み下ろしして運搬する、決してそれだけのものではなかった。彼のメモは膨大にして明細である。積荷の埃のなかに営業成績の大体を計上推知し、主人番頭のからくりの秘密をつかみ、同時に蔵の誰が小遣いに不足して新荷の樽へ錐を立て何升どこへ流した、などという微細なことまで腹に書き留めていた。その上同業のルートは網の目のように発達し、顔の馴染はどこにもあった。彼は店内の誰とも特別親しいという関係を作らず、一種の強さを見せ、ひとりいることを誇りとしているらしかった。
朝出勤して来れば、きっと隠居所の窓の下へ来て先代の老夫人に挨拶し機嫌をたずねた。年をとった母というものは昔が差別なく大事にしなくてはいけない、という主張には全くの情がこもっていると人はうなずいたが、私はきざだと思っていた。主人たちにはまたそれ相応なやりかたをする。自分は学問のない人間だから云うことに値打ちはないだろうが、と前置きをして人前でその私事をあばき、忠告めかしてがさつにしゃべった。番頭たちにはすべて揶揄とおちゃらけで通し、若いものには天下の風雲にあわせて新家庭建設の手段を説く。蔵のものには尽きざる猥談を聞かせ、聴くものはまたあれかと思いながらつい口をひろげて笑ってしまうという。そして女中たちには絶対に親切だった。「あら、さんまたが壊れちゃったわ。」「よし、おれが直してやる」「困ったわ、この煉炭重くてもてない。」「いいよ、おれが持って行ってやる。」彼はまた、おしゃれであった。包装のわらごみにまみれ自動車の油に汚れ、疾走の砂埃を浴びていつもきたない。きたないを承知の上で、きたないまま気取っている。胸からたすきになった労働着のだぶだぶへ幅の広いベルトをきっちりと締めるのは、肥満を美化する最上の手段だった。鼻の両脇にどす黒くたまった埃の顔へ、光線よけの青いひさしをちょいとずらしてかぶるのは、狭い額と小さい頭を偽装するに効果十分であった。彼の自慢は自動車だったが、それにもおしゃれが現れていた。主人に買ってもらったのは部分品だけだというが、全部彼の組立によるもので、塗料まで自分手に塗ったという。グリーンに白線をあしらって、見るからに小粋に、しかもがっちりしていた。「肥えたご車にゃ乗りたくねえ」と云っているだけに、なるほど都会のトラックだった。
住いもまた彼の手になるもので珍奇であった。普通のおんぼろ二階家をちょんぎって、したを広い土間にし、柱代りに払い下げのレール数本が二階をささえている。土足でハシゴをあがった処はぴったりとドアで仕切り、ドアには小さい覗き穴がつけてあり、天井からのあかりは客の姿をくまなく明るく浮き上がらせるだろう。柱には呼び鈴のポッチが赤く、壁には夜間受付とした郵便受けの口が切ってある。家族は二階住いをし、炊事場も便所も彼一流の簡単なやりかたで階上にとりつけてあった。細君ははなはだしく糟糠の香気を発散させている優しい母型であり、ドア一重の内側は子供と散乱でいっぱいである。そのなかで眼を奪うものはベッドであった。彼だけがベッドで眠るらしく、壁際にこれもレール製のが据えてあり、うらぶれた室内の様子とは不似合いな花模様の夜具がかかり、頭の上にはオレンジ色の豆電燈がつくようになっていた。
「云いだすと何でも思うようにしなくっちゃ納まらないたちでして、きっとお店へ伺いましてもさぞまあ」と細君は、ベッドに唖然としている私に云った。
「器用ねえ」と云うよりほか、ことばは出なかったが、ひとのいい人間の常で夫の能力を遠慮しながら誇り、スプリングもみんな自分で気に入るように作り、パッキングは高級車の古を使って馬毛だと話した。
私に二度の春秋がまわった頃、店は砂の漏れるように崩壊の道を辿っていた。番頭たちはとうに老齢を盾に、店に見切りをつけて退身隠居していた。怠慢な主人たちは急にあくせくしはじめた。彼はだんだん主人に針を含んだ物腰を示し、それは情ある注意忠告ではなく侮蔑であった。夫よりも私の神経がそれに余計に刺激された。ついに店はどんづまりに詰まって、製造元の大きな会社に併呑されて終りを告げた。夫は離散の悲しみも上の空のように、あたふたと明日の糧の心配をしなくてはならなかった。外国での知識を活かして新しい商法で立って行きたいと口では云うものの、新生命をひらいて行くだけの旺盛な事業欲は無いらしく、会社が長年のよしみに従来の品物の取り扱いを無条件で許してくれたのを力にして、ごくごく小ていな小売り業になって凌ぐことにした。とにかくなんでもかでも一つの業にとりついていれば、それで辛くも飢えないだけの米は得られたし、足りないところは人も気の毒がって援助してくれ、私の実家もまさか見殺しにもしなかった。
怖じた中年の男の心は気の毒であった。夫は一ヶ月二ヶ月と過ぎるうち、だんだんに気力を喪失し、どうやら飢えずにいるということすらが元気を削減する原因になり、ただただ今日に馴れてずるずるとしていた。そうなると体力のともしい意志の薄弱なものと、懸念ない肉体、逡巡せぬ実行力をもつものとの差は大きかった。彼は会社と新しい雇用関係を結んで一日もむだをしない。こちらとは相変わらず行き来があったが、つきあいはしばらくすると全く対等になり、その後彼が上まわった素振り態度に出るようになってきた。私がいやでたまらないのは、私の前で夫に猥談をしかけることだった。虚弱な夫をもつ中年の女は、およそ女のなかで一番動かしやすい女であること、夫のあることはかえって秘密を保ちやすいこと、遊戯は秘密によって一段とおもしろいことを、満州仕込みだか何だか、例の割れ声をわざとひそめて話すねつこさ、ふむふむと聴いている夫にも腹が立った。
夫にひきかえて私は、その日その日の現在から何とかして脱出して行きたくてやりきれなかった。土くれをほうり込んで埋めてしまえば形のなくなる溜り水のような夫と、火にたぎれば蓋を押し上げる釜の水のような妻と、どちらにも土くれにあたる事情、薪にあたる事柄は次々と重なって行った。将来ともにためになる筋へは気伏せがって行かず、なんでも一時凌ぎができさえすればから、夫は差し迫った金を旧運転手から借りてくれと云う。それは私の誇りが許さなかった。けれども夫はほかに道がないようにしつこくせがんだ。私にすてばちな心持が動いた。――そんなに云うんなら、三文商人が馬賊に金を借りるのは釣合った組合せだ、よろしい、借りましょう。沸騰がまっさきに自分を焼けどさしているとは思わなかった。
彼は二言と云わせないで金を持って来た。そのとき運悪く夫はいなかった。私は火鉢の猫板の上で夫の名で受け取りを書き捺印した。
彼はそれを丹念に改め、「あんたの名じゃないけど承知なんだからまあいいや、書き直すのも面倒だから」と、インデン三つ折の立派な紙入の底へ書き付けは丁寧にしまわれ、いまさら私は気持が悪かった。それから彼は膝を崩してあぐらになり、「あんた、おひるは?」と云った。
私はむっとして横を向いた。のとろに平ったい神経でないと負けると気をつけながら、なめるないという気が三角形にとんがった。
彼は外へ出て行くと間もなく紙包みを持って帰って来た。火鉢の向う側の主人の座蒲団を、ずっと後ろへ押しのけて坐ると、ばりばりと袋を裂いた。出て来たのはジャミパンと称する、あやしげな赤いぬるぬるをくるみ込んで焼いたパンだった。二つにちぎった断面は爬虫類の胴切りを連想させ、穢という感じだった。小さくちぎってたべているうちはまだしも、わんぐり食いつくと口の端に赤いぬらぬらがみゅっとはみ出し、それにかまわずぐんと食い切って、くちゃくちゃやりながら舌は悠々とその辺を舐めずった。見るにも堪えず眼も放されない不快に辟易しているところへ、彼は云う。「二人で一緒にたべましょうや。おごるつもりで余計買って来たんだから、遠慮なしにどうです。どうせ旦那は出かけてるんだから昼飯はパンとしゃれた方がいいでしょう。」
何がしゃれているんだか見当もつかず、いくら薦められても会食の欲は起こらなかった。一人でさっさとたべるだけたべ、残りはくるくると包み、ことわりもなく茶棚を明けると、がしゃがしゃと押し込んだ。我慢がならなかった。「いやよ、そんな処へ、私たくさんだから持って帰って頂戴よ。」
「まあ、そう云わなくても、ね、あんたにたべさしたいから買ったもんだ。今いやならおやつの楽しみにしたっていいからさ。」たべさしたいとか楽しみにしろとか、そんなことばを聞かされた恥ずかしさ。自分にもわかるほど怒りがどっどっと波うった。
「私はお金は借りたけど別にひもじくはないのよ、持って帰ってください。」せき込む私に眼も向けず、「お茶一杯恵んでください」としゃあしゃあして、鼈甲に金でイニシャルを置いたケースをぱくんとあけて、中はバットである。やけに熱いはずのお茶もちっとも感じないらしく、ごくりごくりと飲む。
書は遅渋(ちじゅう)を貴ぶと父に教えられたことがふと思いだされた。こんな時に思い浮かべる父のおもかげは、悲しいほど懐かしいものだった。無言で伏し目になった私をどう思ったものか、彼は慌てて没落の悲運をくどくどと慰めたが、結局云わんとするところは、いかに自分が実力ある男かという宣伝であった。敏感な神経などというものはこんな際何の足しにもならず、むしろ敏感な神経があるからこそかえって余計にいやな思いをしなくてはならなかった。私はとうとう父にその話を打ち明けて訴えた。
父は私の話を聴いていて、引出しをあけ、黙って金をくれた。そして、「おまえは重い女だね」と云った。
「重いって何です。」
「何だと訊くようじゃいよいよ重い。おまえの心が居しかっているから物が滞る。水の流れるようにさらさらしなくちゃいけない。」
もっと具体的に訊いてみたい話だったけれども、さらさらと流れる話をしつこく訊くことはできなかった。父の調子には、そんなことぐらい自分で考えろ!といったものがあった。
借用証は金とひきかえに取りかえした。彼は腑に落ちぬ顔をしていた。間もなく私はさらさら流れるものを身辺に汲み知った。下町の女には貴賎さまざまに、さらさら流れるものがある。それは人物の厚さや知識の深さとは全く別なもので、ゆく水の何にとどまる海苔の味というべき芳しいものであった。さらりと受けさらりと流す、鋭利な思考と敏活な才智は底深く隠されて、流れをはばむことは万ない。流れることは澄むことであり、透明には安全感があった。下町女のとどこおりなき心を人が蓮葉とも見、冷酷とも見るのは自由だが、流れ去るを見送るほど哀愁深きはない。山の手にくらべて下町が侮り難い面積をもっているのは、彼女らの浅く澄む心、ゆく水にとどまる味に負うとさえ私は感じ入った。
それにしても割れ声は、よくせき私に合性がよくなかった。俄仕込みの流水式なんぞあってもなくても、彼がごろた石のごとくでかんとしていることに変りはなかった。品物の配達以外に始終やって来て、主人がいない時にはきっとものをたべて行く。近所から五目そばとかトンカツとかを取り寄せてしきりに薦める。通いで来ている小僧に私はさりげなくその場でたべさせてしまう。それもいないときは、「のちに皆で一緒にします」と云って取り合わない。いくらしゃべりかけても私は私のしごとを続けている。ごみ屋と屑屋の意趣晴らしなどの話を聞かされても、事柄の愚劣、話しぶりの下等さにひっかかって、こちらがいやな気持ちにされることは無いようになった。
明らかに嫌われていると知っていながら彼はしげしげやって来た。それで私にびりびり感じられるのは、彼が私をぶっこわしたがっていることだった。性の合わないものへ取っ組んで、相手が抵抗すればするほど挑みかかりたい気があるらしく察せられた。私はときに、いっそ挑戦したいほどな腹立たしさに駆られた。あっちも荒々しいものを見せつけて憚らない様子だが、私も荒々しい反撥を隠さなかった。神経衰弱的に世間怖じ人怖じた夫は妻の訴えを聞いても、まさかと云うばかりが返事で、妻を安全に保つための用意を考えることは更になかった。心身ともに現在から少しでも上に這い上がりたく、米に追いまわされ、遅渋と流水との間をまごまごしながら私は、きっぱりした拒絶はいろんな拒絶の方法のうちでも品位の最高なるものだと思い込んでいた。
八時過ぎだった。ぬっとはいって来た彼は、びっくりするような顔をしていた。片頬が紫色に腫れ上がって眼が細くなっていた。大勢を相手にした喧嘩の次第を話し、話につれて昂奮は激しくなり、割れ声はかすれて聞き取りがたかった。休息の夜を乱されてうんざりした私は、彼を夫にまかせて銭湯へ逃げ出そうと思って、鏡台の前にいた。鏡のなかには彼が映っている。「あいつら、こんだ出っくわしたら最後、車の下へ呑んでやる。おれが運転手だってこと忘れやがって、畜生、ぐうっとこう。」
鏡のなかの厚い胸とむくれあがった頬が、ぐうっと私の上へのしかかったような錯覚を起こさせた。なんとなく湯へ出かけるのもこわくなる。文明の利器はすなわち凶器だというが、彼はトラックのタイヤを考えている!ああそうだ、芝居の時平公だ、轍にかけて敷き殺せ!といばるあの恐ろしさだ。たとえ一時のもののはずみで云ったことばにせよ、この三角形の頭の内容は恐ろしいと認識しないわけには行かなかった。その後何事も起こらずにあざは吸収し、彼はけろっとその話に二度触れなかった。
袷になったばかりの午後だった。私は使いにやられ、帰途家近くで、久しく会わなかった従兄にぱったり出会った。従兄は若いときから生活苦に追われて堪えぬいた経験をもってい、その語る同情にも忠告にも切実な、眼のさめる想いがあった。私は偶然の機会をむだにすまいと、話し話しゆるく歩いていた。そこはかなり人通りのある横町で、片側に日があたっていた。と、だしぬけに感覚を断ち切って、一つ雷のような名状できない音が、わ、わ、わんと耳を痺れさせた。眼の前に蜂の巣のようなトラックのラジエーターがあった。とっさに私は従兄に庇われていた。そしてラジエーターと私たちの間には電柱が一本立っていた。何がなんだかわからなかった。
「驚きましたかあ。」運転席から割れ声がばかにしたように笑った。車はバックして、さっさと走り去って行った。
たちまち、事故?と集まったいくつもの怪訝な顔は、またたちまちつまらなそうに散らかったが、従兄は、「変だなあ、なんだかいやな気持だったなあ」とくりかえし、私はすっかり固くなった。機械的な事故でなく、過失でなく、意図をもってしたいたずらに違いなかった。気がおちつくと、なまいきに筋を運んで来たなと負けじ魂が起きあがっていた。
数日後、夫はもうかれこれ帰宅する時間であり、私は風邪気味で二階へあがってしまっていた。子供は姑の家へ泊りに行っていなかった。店には十五になる小女がいたし、着たなりで横になってとろとろしていた。店のガラス戸が明いたように聞き、帰宅したなと思ううち、また戸の音がして完全に覚めた。あがって来たのは夫でなく小女で、いま運転手が来たがお風邪だと云って返しましたと報告した。ほっとした。いくほどもなく、また戸が明いた。待つ心は夫だと思いこんでいたから、錠をさすはずだがなと聴く耳へ、どきっと割れ声が入った。ここへ来られちゃたまらない。とっさにそれを思って、こちらから出て行くが得策だと立ち上がると、頭がぼんやりしていた。頭痛止めのミグレニンが利いていた。
彼は土間にいて、商売物の樽の飲み口をひねっていた。かぶとのお客へ使うコップで一気に煽りつけ、もう一杯ついでこっちを向き、私を見た。「あんた風邪だっていうじゃないか、寝ていてください。」
編みあげの紐を解きにかかるのへ制して、「今夜は気分が悪くってとてもつきあっていられないから、悪いけど帰って頂戴」と険しく云った。
「じゃ旦那が帰るまで店番してあげるから、あんたは寝てください。」
「人にいられると思うとゆっくり休まらないから、帰ってもらったほうが勝手なんです。うちももう戻る時間だし。」しつこく帰れと私は迫った。
「帰れなら帰るけど、あああ。」
彼は立ったままの私を見あげ、私はすでにびりびりしながらはっきり見おろしていたが、無視してあくびと伸びをし、立ちあがりさま無遠慮に、「ああ酔った酔った」と息を吐いた。気味の悪さにむかむかして、もし寄って来られたらとそればかりが気になって、そのときは表へ飛び出そうと用心に私はガラス戸のほうへ動いた。
「一杯呑んだら眠くなっちゃった」と云って、ぼりぼり頭を掻いていた彼は、ふっと身をかえすといきなり、ととととハシゴをあがってしまった。意外だった。隙に乗じられてしまった。二階ではどしんと寝ころがる音がした。いったん騒いでしまった思慮はすぐに立て直らなかった。不覚にも身を置く位置をばかり考えていた結果がこれだった。
小女と私は顔を見あわせたまま術なく立っていた。と、何だかいやな声が聞こえて来、続いて、「洗面器洗面器、吐きそうだから早く早く。」
おろかに私は吐物の汚穢のひろがりにふるえ、燃えるように腹が立った。手をかけて引きずり出したさで二階へ走った。彼は私の枕に寝、私の小掻巻をかけていた。見るより早く、ぺっと引っ剥いだ掻巻が私の手にあった。「帰んなさい。帰らないと人を呼びます。帰んなさい。」
新聞紙とバケツを持った小女が敷居に立っていた。
「きくや、あんた私と一緒にいなくちゃいけない、下へ行っちゃいけない。」バケツを持った小女は気を呑まれて部屋の隅へ立った。
嘔吐なんて嘘の皮である。全身で私は、ばかにしやがってと煮えたぎった。遅渋の兜も流水の盾も忘れはてていた。向うはてれた薄笑いをし、案外おとなしく起きあがり、バンドの金具をきらりとさせてズボンをゆすり上げた。私は怒りのことばが効果あったことと思ったが、その甘い考えかたは即刻にけし飛ばされた。ざっと寄られ、まむきに胸がくっついていた。バケツが音を立てた。
「そこにいて、きく、そこにいて。」
強引に抱いたまま彼はみずから後ざまに、蒲団の上へころび倒れた。倒れた処は蒲団を半分かた外れて、くずかごと四ダース入りのビール箱をかねに置いた隅へ頭を突っ込んでいた。足は彼の両足の間に掻い込まれて自由でなかったが、ころぶはずみに上半身は抱かれた腕から乗り出し、片手は自然向うの喉にかかっていた。ぴたっと相手の胸に重みを沈めると、胸から男の鼓動ががぶりがぶりと伝わった。シーツの木綿に爪先の力を与え、じりじりとのしあがって締めて行くと、さすがに苦しがってぎょろりと眼を剥いた。けれども着物は非情である。袖?褄?八つ口は括約しない、彼我共通に開放されている。噛みあいは人を噛むかわり自分も噛まれる。こちらの手が喉をせめていれば八つ口は彼に役立っていた。攻防一時に行うことは力量の差があってはなし得ないものである。しかし、堪えることや無感覚になることは防の一種である。彼は私にこういう腕力的な反抗や、脆くない忍耐があろうとは計算しなかったろう。ぎょろりと眼を剥かれても私は罪の意識も何もなく、恐ろしくもなんともなく手に力を入れていた。
八つ口の忍耐が崩れた。同時に顔が向うの顔へ押し付けられ横にころがされ、私の攻勢は失われた。一瞬前の姿勢は彼の頭の下の畳の固さが私に味方してい、いまは私の頭のうしろのビール箱が彼に味方していた。もがくだけの空間もなかった。唇が求められ、頬と頬がずり合っていた。徐々に防ぎきれなくなるということは無慚である。悲しいことに私は左右の握力がうんと違っていた。自由なのは左手だけ、それもほとんど手の先だけしか動かせなかった。できるだけ畳へ顔を伏せ、自分の手で自分の唇をおおったが、そんなことは何でもなくねじ向けられた。頬が頬を擦って来る。私の親指は乏しい握力の限りを、相手の唇の中へ突きこんでねじろうとした。ぬるぬるしていた。
いつか足が自由になっていた。しかし二本一緒に押えられていた足は安全であったが、自由になった足には虚があった。蹴飛ばした効果より裾を割った損失は大きかった。向うの片足が膝こぶしの間を越そうとしていた。唇を避けるためには相手の頬に密着しなくてはならなかったと同様に、裾を割った両足は渾身込めて、割りこんできた相手の一本に膠着しなくてはならなかった。半ズボンをとめる留め金が、ぎしぎし膝にこたえた。闘いに周囲の事物は非情のものでいながらに、かならず敵味方の色に分かれるものだろうか。しかもそれは時々刻々に変化する、いま味方だったものはすぐ直後に敵にも役立つという風に。彼の薄い毛糸のジャケツは手応えなく伸縮して彼に忠実であり、私の着物は情らしい手応えを残しはするけれど、淫奔にずるずると崩れた。胸と顔と裾は交互に襲われ、衿も褄もむしられた。むしられてははだかって行くことを意識がちゃんと知っていた。肩が脱げ膝が剥きだした。ちらっと向うのズボンがずり落ちかけていることを見た。
それからだった。ひた闘いにたたかった。物ががらがらと落ちた。何でもへ足で突っ張り、手で突っ張った。歯も爪もぎしぎしして、むちゃくちゃに抵抗した。腕がねじ上げられて、ふっ、ふっと息がちぎれる痛さだった。あっちもこっちも痛くされた。痛いからもっと夢中で暴れる。暴れて着物はいよいよ引ん剥ける。裸なんぞ何でもありはしない。裸!とおもう一瞬のことである。たとえ裸と裸がどんなに絡みあおうと、もうどうで大したことはないのである。けれども裸の皮膚のもう一つ内側には、私のなまというものがある。皮膚は洗えば落ちるが、なまはなまだからしみてしまう。しみるなまに較べればしみない皮膚の価値なんか何ほどのこともない。今まだ全く保たれているその私のなまが、金輪際彼はいやだとがんばり通している。ただそれだけなのだ。なまという平生は身体の器官の一つにすぎないものが、この場合私の心に直結しているものだった。二つとは欲張らない、一つだけのこと、――この男にはいやだという一つだけの心であった。
夫がコートのまま、立ったまま、「よせよ、おい、よせよ」と云っていた。彼が私を棄てて、すっと立った。半ズボンが膝のびじょうまで裏がえしになって落ちてい、それをずっとたくしあげると悠々と無言で出て行った。狭い入口に立った夫とすれすれに通って。
私はすわったが、髪はざんばらであり、姿は全裸よりすさまじかった。帯は解けていたが腰に巻きついていた。着物は引きしおられて片寄っていた。袖つけは裂けていた。最もしっかりしていたのが腰紐と帯あげであった。こま結びというものは絶対に強い。着物も襦袢も肌着もこの二本の愛すべき赤い小紐によって、辛うじて身のまわりに束ねられていた。束ねられてなまじ体にまといついているだけに、全裸よりもっとすさまじい姿なのである。いまはこの着物は何もかも不潔だった、不潔におもえた。そして、とにかくやはり裸を蔽ってほかの着物を着なくてはならないのが第一だった。赤い紐はきつく結ばれてなかなか解けない。ふと半ズボンのずれ落ちた彼の姿が浮く。メリヤスの厚いズボン下を着けていたのが小ぎたなく貧乏くさかったが、思い出になったその姿にはなにか非常にばかげたものながらユーモラスな影があった。それにひきかえて、あのとき夫の方を見て起きかえった自分の姿には、醜さといっしょにひどく惨めなものがあるだけという気がする。しかし、感情より感覚はもっと切実な力をもっていた。なまは全き姿で保っていても、なまの一重外側の皮膚は、どこもかしこもよごれたという感じがたまらなかった。しかも私は全力を尽くして闘ったつもりなのに、彼の方はきっとうんと加減をしていたろうと思うのはたまらなかった。私は小銭を掴んで、あたかも銭湯へ急用ある人のように早足で出て行った。一体これは何だというんだ!
どうしてあのとき私は助けを呼ばなかったか、苦痛を訴えなかったか、不思議と云うよりほかない。それにあの小女は!
「私、はじめ泣いちゃったんです。それからぼんやり見ていたんです」と。今このひとは幸福な母になっている。盆暮には来て、きっと「あの時はねえ」と話して、その時の自分を不思議がる。二軒長屋の隣が壁を叩いて、どうしたんですと声をかけたのを知っていたのにと云う。